都電荒川線 7500形と東日本大震災

7500形は、8000形の後継車として昭和37年に登場しました。昭和59年から62年にかけて、都電初となる冷房装置の搭載を伴う 車体更新が施工され、平成の時代になっても活躍を続けました。しかし、徐々に廃車が進み、平成23年3月には、7511と7512の 2両が残るのみとなりました。この2両も、3月13日(日)での引退が決まり、12日(土)と13日(日)にお別れ運転が予定されておりました。 しかし、11日(金)に東日本大震災が発生しました。荒川線は震災発生後、約2時後に運転再開されましたが、お別れ運転は中止となり 予定通り3月13日(日)限りで運用を離脱しました。


   ◆ 3月11日(金)

この日は、投薬治療終了後の初となる定期健診日で休暇を取っていました。健診結果、幸いにも「順調に回復」との診断がもらえ、 午後から都電荒川線に足を運びました。三ノ輪橋停留所で7500形を待っていたところ、14時46分となりました。 今までに経験したことのない揺れにしゃがみこんでしましました。長い時間でした。店の人たちも外に飛び出てきました。揺れが収まり平成に 戻り、まわりの人に聞くと、東北地方が震源とのことでした。この時は、大震災とは想像もしませんでした。荒川線は、安全点検のため運転 見合わせとの放送で、7500形を求めて町屋方面に歩き始めました。途中、震度5弱の余震もあり不安が増幅されましたが、荒川二丁目電停 で7500形と出会えました。

荒川二丁目電停で抑止中の7500形

踏切警報機を止めるため、7500形は荒川区役所方面に移動しました
写真右の塀は、地震により倒壊しておりました。

7500形は荒川区役所電停前で停車しておりました
熱心なファンが撮影しておりました。「こんな時に撮影していていいのかな?」
撮影終了後、予感は的中しました。

スカイツリーをバックに撮影しました

運転再開後、三ノ輪橋電停に到着した7500形

三ノ輪橋電停で出発を待つ7500形

早稲田に向かい出発しました

この後、帰宅のためJR南千住駅に向かいましたが、駅はシャッターが下りており、駅の周りは人であふれかえっておりました。近くの マクドナルドに入りましたが、ガスが止まっているとのことで営業しておりませんでした。寒さしのぎのため、マクドナルドでJRの運転再開 を待ちましたが、マクドナルドも「人が多く危険」とのことで、シャッターを下すとのこと。駅前の南千住区民事務所が解放されておりました ので、ここでテレビを見ながら運転再開を待ちました。テレビで東北地方の惨事を知り唖然としました。JRは終日運転見合わせと知り、 病気上がりということもあり、南千住駅近くのビジネスホテルに宿泊することにしました。ホテルに着いてもエスカレーターは動かず、近くの コンビニからは食料が消え、また飲食店はガスの供給が途絶えたということで閉店。しかし、幸運なことにLGGが使え、営業している飲食店を 見つけ、夕食を取れたのは幸運でした。夜の東京は、帰宅難民となった徒歩帰宅のサラリーマンであふれ、部屋に戻っても余震が続き、街は 一晩中緊急自動車のサイレンが鳴り響き渡り異様な夜でした。水銀灯で照らされた隅田川貨物駅もちょっと不気味でした。


   ◆ 3月12日(土)

不安な一夜を過ごし、朝食を取りに三ノ輪橋に行くと、幸運にも阪堺電気軌道の旧塗色を模した7511に出会えました。

三ノ輪橋電停



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